陣内病院ブログ

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大阪北部地震で被災された患者さん、医療者の皆様へ

2018.06.21

大阪北部地震、大きな余震は、おおよそ治まってきた状態でしょうか。
ただ、震度3前後の余震はまだ断続的に発生している状況かと拝察します。

熊本地震の際は、我々〜医療者も患者さんも、
連日、自宅でも職場でも散乱した室内や戸外周辺を片付け、
水や食料の確保に奔走し、
余震や地鳴りの音のたびに先行きを考えて不安になり、
夜も浅い眠りと覚醒を繰り返して良く眠れない、という日々が続き
最初の1週間は本当に心身共に疲弊しました。

この間、陣内病院のガレージ診療ではいろんなやりとりがありました。
「不安でずっと落ち着かない。」
「眠れない。」
「地震でない時もずっと揺れてる気がする」
「ちょっとした音にすごく敏感になっている」
「どこが悪いのかわからないけど、とにかく辛い。」
「戦争引き上げ、熊本大水害、熊本地震と人生で3度目の災害、
 地震が一番怖かった。」
「避難所生活で注射を打ちにくい。
 どこか場所があればと思うが、
 自分より大変な病気の人もいると思うと言い出せない。」
「自分や家族が被災したことで初めて、他の被災地で
 どれほどの恐怖や不安があったのか、と遅ればせながら感じた」
「まさか熊本でこんな大地震があるなんて!」
「家で家族の前では泣けないから。」
と当院に来院されて泣き出される患者さんもおられました。

辛いお気持ちや悩みやストレスは、
皆で共有すると解決策につながりますし、
解決できないことであっても少しだけ気持ちが楽になります。

医療スタッフに吐き出してもらってOKです。
もちろん病院で泣いてもらっていいんですよ!!

「食べるものが炭水化物しか手に入らない。どうしたら??」
「野菜がない』
という相談もよくありました。
ただ、こういった『入手困難』というどうしようもない状況の数日間は
食事療法の遵守より「サバイバル」が最優先です。
今、手に入るものを「命を守るためのエネルギー」として
しっかり食べましょう。

数日間、栄養バランスが崩れてたとしても、
普段からきちんとバランスの良い食事をされていれば、
後からリカバリー可能ですから安心してください。

非常時のお薬や食事の対処方法は、
シックデイルールに準じて考えるとおおよそうまくいきます。
あまり神経質になりすぎて
かえって強いストレスを抱え込むことがありませんよう。

被災中は、当然、辛いことが多いですが、
一方で、「有難い」と思う瞬間も多いです。
何より普通の生活のありがたさ、を心のそこから感じました。

また、感謝の「言葉」が人の力になる、ということ。

ガレージ診療に来られるなり、
「大丈夫だったね?!」
「こんな大変な状況なのに、お薬出してくれてありがとう。」
「自分の家がめちゃめちゃになっても涙も出なかったし、
 すごく冷静な気持ちで片付けられたんだけど、
 今日、病院に来て、病院の被害を見たら涙が出てきた。
 やっぱり病院は無事でいてくれなきゃダメ!
 大変だと思うけど、頑張ってね。」
〜などなど、自分のことより先に
医療スタッフのことを気遣ってくださる患者さん達の声に、
我々、どれだけパワーをいただいたことか!!!

周りの人とつながれば、辛い状況も必ず乗り切れます!

「辛い気持ちも、感謝の気持ちも、とにかく
 出し惜しみしないで周りにどんどん外に出して!」

熊本地震を超えた当院CDEJから
大阪の被災者の皆様へのアドバイスでした。

頑張れ!大阪!!

 


大阪地震お見舞い申し上げます。

2018.06.18

大阪地方にて震度6弱の地震発生、の報に接し、
心よりお見舞い申し上げます。

ニュースで見る映像に、
2年前の熊本地震の記憶がまざまざと甦り、
本当に胸が痛くなります。

現地では余震が激しいことと思います。
先行きの不安と疲労で心身消耗されていると思いますが、
まずはこの3日間をしっかり乗り切られますよう。

糖尿病の患者さんにおかれましては、
お薬〜特にインスリンの手持ちを確認し、
まとめておいてください。

インスリンについては、
どの種類の製剤であっても、
最低4週間は常温保管が可能ですので、
冷蔵庫の中だけでなく、
避難経路の途中に分散保管されておかれると
いざという時にパッと持ち出しやすいです。

震度6以上になりますと、
部屋が落下物や倒壊した家具で足の踏み場がない状態になります。
そこから大事なものを探している時間もない場合があります。

今、自宅で過ごせている方におかれましては、
今回の震度6弱の経験で比較的被害がなかった場所に、
大事なお薬と緊急持ち出し品を移動しておいてください。


また、こうした広域災害時に
不測の事態でお薬を失った上に
かかりつけ医と連絡が取れないような場合には、
医師の処方せんがなくとも、
 ・お薬手帳
 ・薬剤情報提供書
 ・普段の処方せんを携帯で撮影した写真
・・・などなど、日頃の服薬情報が確認できるものがあれば、
調剤薬局でも処方を受けることができるよう取り決めがあり、
全国の病医院、調剤薬局に事務連絡がなされています。

ちなみに熊本地震の場合はこんな感じでした。
平成28年熊本地震における処方箋医薬品の取扱いについて

お薬の供給についても、
薬品卸会社の方々が、全国の流通ネットワークの拠点を駆使して
地震後、即時で被災地での医薬品の安定供給を確保してくださいます。
これも熊本地震で証明済!!!

何があっても絶対に処方は受けられますので安心してください!!!

ただ、「もしも」の場合にスムーズに処方を受けるために、
避難持ち出しバッグには
服薬情報の資料も忘れず入れておかれますよう!

大阪は阪神大震災の経験で耐震化が進んでいるものと思われますが、
内陸直下型の大地震で余震が続く場合、
水道や都市ガス(都市部の場合は電気も?)などの
地下に埋まっているインフラは、
復旧にどうしても時間がかかります。

特に水については、
地域の地下の水道供給管に被害が少ない間に、
もしくは、マンションなどで高架水槽内に残水があり館内給水管の破損がない間に、
・・・要するに、まだ水道から水が出ている間に
2〜3日分の飲料水と生活雑水を確保備蓄されてください。

飲料水や調理用の水は
持ち手と蓋があるウォーターバッグやペットボトルがあると
後々給水支援を受ける時にも非常に有益ですが
手持ちがない場合は、鍋でもなんでもOKです。
とにかくできるだけたくさん備蓄されておくことをお勧めします。
(ただ5リットル以上になるとかな〜り重いのでお覚悟を!)

生活雑水については、
本日、お風呂に入れたならば、その後の残り湯は流さず、
そのまま風呂桶にとっておいてください。

こちらはバスソルトを使っていたとしても
トイレの洗浄水として非常に役立ちます。
(実際、我々、余震が激しい間はずっとそれでしのいでいました。)

被災直後の現段階でできる備えもあります。
こうしたことで、この後の3日間に、
しなくていい苦労や、抱えなくていいストレスを減らせる
『減災』がはかれますよ、というご参考までに。

また、困った時は、遠慮なく周りに相談してください。
自ら情報を発信することは、
必ずあなたを助けてくれる道につながります。

被災後しばらくはどうしても混乱しますし、
不安な夜を過ごす日々が続くかと思いますが、
3日経てば支援供給体制が整いますので、なんとかなります。

どうかみなさんここを乗り切ってください!!!
大きな災害となりませんよう心より願っています。

 

 


熊日新聞に掲載されました!

2018.05.22

5月20日(日)の熊本日日新聞の朝刊にて、
当院会長 陣内冨男の坂口賞受賞が紹介されまして。

こちらをご覧になったたくさんの方から、お祝いのご連絡を頂き、
中には、思いもかけず懐かしい方の元気な声が聞けたり、と
嬉しく過ごしております。

半世紀以上もの日々を、
この熊本で糖尿病専門診療一筋で仕事してこれたのは、
たくさんの方のお力添えを頂いたからこそ、であります。

来る5月24日の東京での授賞式では、
陣内冨男の糖尿病診療を支えてくださった皆様を代表して
賞を受け取ってまいります。

本当にありがとうございます。


坂口食って知ってる?

2018.05.12

5月13日(日)は、当院会長の陣内冨男のお誕生日でありまして。

今年は会長の橋寿と
日本糖尿病学会「坂口賞」受賞のメモリアルイヤーということで、
全職員で、ケーキと花束を贈呈してお祝いしました。

ケーキに刺された旗は、会長の大好きな日の丸のミニ国旗。
1つ1つに職員が祝福のメッセージを書いているのですが、

これをみんなに書いてもらっている時、
とある職員とこんなやりとりになり。

「坂口賞って、『坂口食』の坂口かな? うわ〜。懐し〜〜。」
「そうそう。その坂口Drのお名前を冠した賞です。
 ・・・って、後藤さん、『坂口食』経験ありなんですかっ!!
 どんなのだったんですかっ?!」

時代は大正初期。
日本の近代糖尿病学の父、坂口康蔵先生が、
東京帝国大学青山内科にて、
「血糖調節と糖認容力」「糖排泄」の研究に尽力されていた際に、
その研究の中で考案され用いられていた米飯試験食が
「坂口食」として、昭和半ばまでの日本の
糖尿病診断の検査のスタンダードとなっていました。

その内容がこちら。

米飯270g、鶏卵2個。
早朝空腹時にこれを摂取して、
30分毎に3時間、耳朶採血にて血糖値を測定。

ブドウ糖が精製されてない時代の糖負荷試験であります。

空腹時とはいえ、食べきるにはなかなかの量ですよね(汗)。

患者さんから
「せめてタクアン1切れくらい、もらえんだろか。
 これだけじゃ、飯が喉を通らんもん。」
という声が多数上がり、
後に、少量の香のものは添えてOKということになり、
熊大では、タクアン2枚が追加になったそうでございます。

陣内冨男が、熊大の体質医学研究所で
糖尿病診療と研究に没頭していた50余年前は、
(いかにも若き研究者って感じですよね)
         ↓

研究所で検査を担当していた後藤さんはもちろん、
糖尿病外来のスタッフ総出で
その日来院する患者さんの人数分の坂口食の準備をし、
冬の寒い朝には、耳朶採血が取りやすいようにストーブを炊いて待合室を温めて
患者さんをお迎えしていたのだとか。

そうやって早朝まだ暗いうちから出勤して
あたふたと診療準備に追われているスタッフの姿に、
いつしか患者さんが、
「わしらのために、先生方も朝早くから大変じゃろう。
 何か、わしらが手伝えることがあれば。」
と患者さんもまた早朝から来てくださって
検査の準備を手伝ってくださるようになった、というのが、
全国初の糖尿病患者会、熊本県の「かいどう会」の始まりだったのだそう。

なんだかいかにも三丁目の夕日的エピソードですよねぇ。

当時の坂口食を使った糖負荷試験の採血検査では、
当然、少量の耳朶採血をスっと吸引してくれるセンサーなどあるはずもなく、
検査技師が細長いチューブで患者さんの耳朶血を口で吸ってチューブの中に吸引し、
それを測定機器にかけていたのだそう。

「糖尿病患者さんの血液って固まりがあることが多いから
 チューブに詰まってしまうこともよくあって。
 それをチューブの外からつまんで柔らかくして通るようにして、
 もう一回チューブの所定の目盛りの量まで吸引しようとすると、
 今度は勢いよく入ってきて、
 患者さんの血液が自分の口の中に入ることもあったのよ〜。
 今思えば、感染してなくて本当よかった!」

という、感染症対策が常識となった今となっては
なかなか恐ろしい思い出話も伺えまして(汗)。

近代糖尿病治療の夜明けは、
こうした献身的なスタッフの頑張りで支えられていたんですね。

その後、昭和52年に陣内病院が開院した時には、
ブドウ糖液「トレーランG」を使っての糖負荷試験になっていたそう。

当時を知らない我々としては、今の糖負荷試験も
「朝から空腹に甘いの飲んで何度も採血して大変!」
と思ってしまうんですが、
米飯270g+生卵2個+タクアン2枚 を考えれば辛くないですね(笑)

と、こんなお話を教えてくださった後藤さんが、こちら。

「いやぁあ〜恥ずかしいから写さんで〜〜〜!!!」
とのことでこのようなショットになっておりますが、
熊大時代から病院創設時まで、
会長と共に仕事をされていた後藤さんにも
坂口賞、贈呈したい気持ちです!

いつも明るい笑顔と楽しいおしゃべりが素敵な
陣内病院の創設時8人の1人の検査室初代メンバーであります。
当時の糖尿病の検査方法を知りたい若者や、
当時の糖尿病診療の思い出話を語りたいご年配の方、
いずれも、お気軽にお声掛けくださいねっ!

 

 


熊本地震から2年経ちました。

2018.04.16

震度6強の地震から2年。

現代建築の粋と世界初の技術を集めた修復作業が進行中の熊本城では
現在、小天守がリアルな「天空の城」と化しております。

・・・城って持ちあげられるんだね。

そんな素朴な驚嘆を感じる中、
当院では、2年前に前震が発生した4/14に、
震度6強の地震発生を想定した避難訓練を行いました。

昨年は、外来患者さんがピークの時間帯を想定し、
当院の患者会の患者さんと入院患者さん、透析患者さんに
ご協力をいただいての訓練を行いましたが、
今年は「スタッフ人員が少ない1型外来の日」を想定し、
実際に1型外来に来られたお子さんと
保護者の皆様にもご協力いただいての訓練です。

熊本地震で甚大な被害を受け、
4/16からGWすぎまでのガレージ診療を余儀なくされた当院も、
今や修復作業も完了、平穏な診療の日々を取り戻しております。

たくさんの方のご支援を糧に、
辛く苦しい復旧作業と非常時診療体制を皆で乗り越えた日々でしたが、
2年も経つとその記憶も遠くなっていきます。

そんな中、こうした訓練の打ち合わせをすると、
「あの時はこうだったから、次はこう備えよう」
という細かい記憶がよみがえり、
各部門でのディスカッションも深まります。

また、想定を変えて行うことで
新たに生まれるスタッフ個々の気づきを職員全員で共有して、
新たな対策を考えることもできます。

今回は、当院の防災設備の設置管理を担当くださっている方にも
アドバイスをいただきました。

山口防災設備の野口さん、
今回は本当にありがとうございました!

ちなみに、こちらは、参加いただいた保護者の方からの
評価とアンケート。

合格点、いただけたようです!

あの時の経験を今に活かし、さらには未来に伝えることで
患者さんに安心して医療を受けていただける
安全な環境を提供し続けたいと考えています。

最近、過去の大きな厄災が記録され残されている文献や石碑について、
当時の人達が「どうしてそれを残そうと思ったのか」というところに
時を超えて共感できるようになってきました。

震災はとても辛い経験でしたが、
この経験を、自分の大切な人のために活かすと共に、
「未来の人達に伝え、その命を守るために役立てたい」
と改めて思っています。