先週のお話ですが、再び病院裏にクレーン車登場。
屋上にあるボイラーが故障し交換が必要となったのですが、
交換設置にあたっては、クレーンで吊り上げないと無理、
ということになりまして。
耐用年数も余裕で残っている機器であったのですが、
こうも前倒しで動かなくなってしまったのは、
「・・・やっぱ地震・・・だよねぇ」
しかしながら、熊本地震の前震・本震で高架水槽がやられた中、
同じ屋上にあったボイラーくん、
よくぞ今まで頑張ってくれました!
ボイラー交換作業期間中は、
入院患者さん、お湯が使えない状態となってしまいまして、
お風呂は、近くの温泉に通っていただいたりと、
大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
期間中、湯らっくすさんには、
入院患者さんの入浴で、大変お世話になりました。
ありがとうございました!
また、入院患者さんのために、工期最短でご対応いただいた
業者さん、本当にありがとうございました!!
あの熊本地震から1年が経ちましたが、
まだまだ地下では地盤の調整中のようで、
震度1〜3の余震が現在に至るまでずっと続いておりまして、
当院のボイラーのように「断続的な揺れに耐えかねて」
な、二次被害も出てきております。
熊本城でも、無事だった石垣が、その後の度重なる余震で
少しずつ膨らんできているところがあるそうで。
熊本城には、
加藤清正時代の石垣に、細川忠利が石垣を増築している
「二様の石垣」と呼ばれる
非常に美しいビュースポットがありまして、
今回の熊本地震では崩落もなく無事だったのだそう。
この「二様の石垣」について、これまでは
清正の「武」と細川の「文」を象徴する石垣〜といったような、
もっぱら美観上の評価が広く語られていました。
これが、ここ1年の熊本城復元のための研究において、
この細川忠利の時代に増築された石垣は、
当時頻発した地震で清正時代の石垣が膨らんできたところを
細川忠利の時代の最新の地震工学のテクノロジーを用いて
地震の横揺れに強い石組みによって補強した技術の結晶であるのだ、
ということがわかってきたそうです。
こちらは別の角度から見た「二様の石垣」。
確かに何故にこの位置に、
こんな違う仕様の石垣を増築したんだろう?
〜という感じですもんねぇ。
さらには、そもそもの清正の石垣についても、
死者千人を超えたと伝わる
京都の慶長伏見地震の被害を目の当たりにした清正が、
自分の城を築くにあたって、
当時最高の地震工学のテクノロジーを結集したものが、
あの「武者返し」の形に結実したのだ、
ということもわかってきたそうで。
こちらは清正築城当時からほぼそのまま残っている
宇土櫓と武者返しですが、崩落はありませんでした。
日本人って、昔からこうした大きな自然災害を受容して、
その時々の最高の技術、かつ、
古き良きものを損なわない美しい技術で
乗り越えてきたんだな〜ということに
畏敬の念を感じますよね。
それと共に、
こんな大事なことが後の世に伝承されず、
新たな『発見』として報じられるんだ、ということに、
一抹の落胆の思いも抱いてしまいます。
・・・ただ、そう思っている自分も、
1年前の熊本地震で起こったことすら忘れかけていたり。
熊本地震で経験したことをしっかり総括し
今できる最善の対策を講じ、
次の世代に伝えていかないといけませんね。
4/15に開催された
陣内病院患者会「りんどう会」総会の院長特別講演では、
院長の陣内秀昭より、現在、建て替えを計画中の陣内病院の新館について
夢のハイテク構想が語られまして、患者さんの夢も膨らんだ模様(笑)。
充実した医療をたくさんの患者さんに提供できるよう、
ハードもソフトも色んなことをブラッシュアップしていかねばなりません。
昨年の熊本地震の際には、
たくさんの方に支えていただきました。
おかげさまをもちまして、陣内病院、開院以来最大の危機を乗り越え、
今春、開院40周年を迎えることができました。
改めて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
みなさんにいただいた支援に値する病院であり続けられるよう、
さらに頑張ってまいります。
今後とも、ご指導、ご支援、何卒よろしくお願いいたします。